今は耐え忍ぶ時

のっぴきならない事情で精神科の主治医がしばらく診察できなくなりました。

 

なので代わりの先生に診察してもらっています。

が、この先生がちょっと嫌な感じ…

こちらの悩みを話しても薬の話しかしなくて、

その薬の話も、「こういう理由でこういう処方はいかがですか?」と処方の根拠を話して提案するんじゃなくて、

「薬変えますか?」

「こういうときっていつもうつの処方減らしたりしてます?」

と、こっちに丸投げ……

なにより、人格の感じられない無機質な雰囲気が、冷たさを感じて感じが悪いです。

 

転院する前の主治医も受け身で処方してたなあ。

うつがひどくなりました→じゃあ抗うつ薬増やしましょうか

ADHDの薬が飲みたいです→じゃあ処方しますね

みたいな。

今の主治医は、

うつがひどくなりました→あなたの場合薬を増やすともっと頑張っちゃうから薬は増やさないでおこう

だし、

発達障害のある人のうつの場合、まず発達障害という地盤の方に対処してあげる必要がある」

と根拠を持って自分からADHDの薬の提案をしてくれたもんなあ。

 

睡眠時間に支障が出るレベルの躁が出ていて、後でうつが来ないか不安な身としては、代理の先生のこの対応はきつい。

まあ、腕のある医師はそもそも自分のクリニックを持つか大きい病院で常勤するでしょうから、

どうしても微妙な医師が来てしまうんでしょうね…

 

なんで薬の話しかしない精神科の医師が良くないかというと、

「患者が健康的に生きる」という本質的な目標ではなく、

「薬を処方する」という部分的な役割にしか責任を負わないからですね。

薬だけで心の病は治らないんです。生活改善とか、心の悩みの解消とか、治療意欲の維持とか、自分の病気に対する理解とか、環境調整とか、生活や経済的な困りごとへの対処とか、そういうことに一つ一つ対処していった先に健康的な生活というものがある。

そういうことに無関心でいれば、健康的な生活という総体的な目標への道筋を把握せず見失う。

「今この人には何が必要で、自分は何をする必要があり、何のサービスを提案する必要があり、どんな声かけが適切なのか」が分からなくなるんです。

前々から言っていますが、だから患者の人生に興味がない精神科の医者はヤバい。

「患者が健康的に生きる」という目標そのものに対する責任を医師が知ーらんぴって投げ出してしまったら、

投げ出した責任を病に苦しむ患者が全て引き受けなければならない。

自分で健康的問題に対処できないから病院に行くんじゃないですか、病院が患者を健康にする責任を引き受けなかったらなんのための病院なんですか。

(このあたりのことは拙著Domanda Vol. 1「メンタルヘルスと支援」にも書きました)

 

代理の先生が嫌すぎて診察頻度減らしたい…と思ったけど、

カウンセリングがなくなるのはなあ。

(あっでも、カウンセリングだけ受けることもできたりするのかな?あの先生にその打診をするのもしんどいけど…)

主治医の先生が戻ってくるまで耐え忍ぶ時。

こういうときこそ、先生の指示に甘えてないで(※基本的に先生の指示をよく聞くのはいいことですよ!)自分で自分の問題に対処する工夫が試されているのかもしれませんね。