平日3時間、休日5時間
躁です
多少元気なことがあっても「眠れてるなら大丈夫」と主治医に言われてきましたが、6時間も寝ないうちに起きてしまうようになりました
「平日3時間、休日5時間勉強しましょう」
これは私の通っていた進学校で共有されていた目標です
学生時代の私の勉強時間は平均30分未満でした
勉強すれば学力が伸びるのは分かっているのに、(やる気が出にくいADHDの障害特性によって)勉強に手がつけられないのが悲しかった
夏休みの宿題が出せずに1ヶ月くらい学校に行けなくなったこともありました
それで今最近のタイムログを見返してみると、
作業時間が平日3時間、休日5時間を達成できていました
まさか私があの目標を達成する日がくるとは
躁によってエネルギーを前借りしていることは自覚しなければなりませんが、
かつて逆立ちしても達成できなかった目標を達成できたのは感慨深いです
ほどほどかな、状況によるかな
引き続き八木仁平著「世界一やさしい「才能」の見つけ方」に書かれているワークをやっています
今は、1000個ある才能の具体例に自分が当てはまるかどうか、全てチェックをつけ終わったところです
あてはまる場合は◯、そうでもないと思ったら×、部分的にあてはまる場合は△、真逆!と思ったら○の中に×を書き込んでいます
△をつけたものはより適切な表現に書き換え、
○の中に×をつけたものは意味を逆にしています
その通り!が○、
近い!が△、
真逆!が○の中に×だとしたら、
×だけのやつは一体なんなのか。
×をつけるのには4つくらい理由がある気がします
①ほどほどにやってるかなあ
②状況によるかなあ
③それができるほど器用じゃないなあ
④ピンとこないなあ
の4つです。
さて、才能というと「尖っている部分」という風に受け取られがちですが、
この「ほどほどかな」「状況によるかな」というのも、
つまりほどほどに加減を見たり、状況に合わせて行動を使い分けたりすることができるのも、
ある種の才能だと思うのです。
しかし、○○するときもあるししないときもある、というのは、
人にアピールするにはちょっとパッとしない。
この「ほどほどにできる」「状況に合わせて対応を変える」という才能をきちんと言語化して活用したい気もしますが、ちょっとうまい方法に落とし込めないですね。
なんかもったいない精神が出てしまうなあ。
動けない
"ひねもすベッドに寝てるのは病人か赤ん坊
何もかもが嫌になるにはまだまだまだ若すぎる"
(♪橘いずみ「失格」より)
「易疲労」といって、人よりも病的に疲れやすい症状が、私の人生の足をずるずるずるずる引っ張ってきました。
何も疲れるようなことをしていないのに、身体に錆びついた血が流れているみたいに身体が重くて、頭の電流がもう息をしていないみたいで、何かをやろう、始めよう、手をつけようとする気持ちが一切起きないのです
何かをやろうとするとかんしゃくを起こした子どもみたいに心と頭に拒絶反応が出ます
よく「とにかく手をつけさえすればやる気が出る」なんて言っている人が当事者でもいますが(というかそれっぽいことは私も「やる気が出ない、頑張れない君へ」で書いていますね)、手をつけることにすら拒絶反応を示してしまって詰みです
学生時代は問題集に取り組もうと思っても頭が岩になってしまったみたいに働かなくて困りました
「何も疲れるようなことをしていないのに」と言いながら実際には疲れて当然のことをしていて、その人の理想が高すぎて認知が歪んでいることはありますが、私の場合本当に何も疲れるようなことをしていない…と言おうとして、昨日のTaskChuteのタイムログを見たら読書約120分、自己分析210分、+人としゃべりながらゲーム、って結構やっとるやないかい。ふえーん。でも本当に人より疲れやすいんだよ、信じてにょー…
今日も昼ご飯すらまともに食べられず、家にあったBASE BREADを1つだけ食べてサボりです
炊飯器でご飯が炊けているのに 放置
この疲れやすさは私のADHDによる先延ばしや、うつ病による疲れやすさ・気力の湧かなさからきているのでしょう
そういや今日は気圧が下がって不調が出やすいから五苓散飲んでむくみ取りのサプリ飲まなきゃ…と思いつつ、それもできずにいます 怠惰
同じADHDでも身体を壊すほど頑張れる人もいて、血尿出すまで頑張ったとか、顎から骨が突き出たとか、半年くらい休み取っていないと聞いて、いや身体を壊す前で止めといてくれ頼むからって思う反面、そういう馬力がぶっ壊れていて動けるタイプの人が社会で成功していっているので、自分にはなんで馬力がついていないんだろうとどこか落ち込みます
疲れの感受性が壊れてしまうパターンって両極端で、疲れに鈍すぎて身体を壊すまで頑張ってしまうパターンもあれば、疲れに敏感すぎて限界よりかなり前にすぐエネルギーのシャッターが降りてしまうパターンもある
私みたいにエネルギーのシャッターがすぐ降りるタイプの人間はどうすればいいんだ
「できないことがあるからこそ、弱いからこそできることがある」と言われることがあります
でも、「やる」「取り組む」「手をつける」というのは全ての始まりであり、それを取り上げられてしまったら何と戦えるんだと卑屈になってしまいます
「寝たきりの病人すら本を書く作家になったんだからお前も頑張れ」という声が頭の片隅から聞こえてきましたね…聞かなかったことにします
とりあえず寝よう 流れが上を向くのを待とう たえしのぼう たえしのぼう
おれ幸せだなあ
八木仁平さんの「世界一やさしい「才能」の見つけ方」を読んでいます
良書です。マジで周囲のいろんな人にオススメしたい。勉強熱心でビジネス本をよく読むあの人とか、自分に自信をなくしているあの人とか。
「私が他の人と違う点はなんですか?」という質問を周囲の人に聞いてみるというワークが書いてありました
これ私なら職場の人たちになんて言うかな~って妄想するのが楽しくて夢中になっちゃいました
今の職場いい人しかいません、お世辞抜きに。皆欠点はあれど、「この人嫌な奴だなあ」って人は今んところいない。みんなといるのが楽しいです。
やりたかった支援職を止めてしまったけれど、一般就労じゃないけれど、1日4時間しか働いていなくて食えていないけれど、おれ今幸せだなあ
日和るな、かっこつけてんじゃねえ、やれ
点滅社様の無造作だけど情熱的なnoteの書き方が好きだ、憧れる
— 駆里もぐ@ZINE発売中 (@mogumogu_mogun) 2023年5月1日
自分もこういうのを頻度高く書きたいhttps://t.co/1ddqdVEV8v
おれも昔は構造化されていない生の叫びを書けていたはずだ いつから構造に縛られるようになったんだ そしていつから叫ばず呻き声をあげない奴になっちまったんだ
日記というか、人様に届ける読ませる見せる(魅せる)向けのやつじゃなくて、自分の素直で生で未加工で未整理な心の内を淡々と頻度高く投稿するみたいなやつがやりたかった 点滅社様のnote見てこのスタイルマジでいいなと思った
「でも頻度高く投稿するのとか今時間取れないよ、毎日手帳書いてZINEなりフリペなりを1冊製本するのでいっぱいいっぱいなんだけど、第一そんな書くことあるんか?」
って思って、
「時間取れる仕組みができるまで後回しにしよう」
って判断をしてた
君はほんとうに自分の無力が分かっていて、限りあるリソースをじょうずに使おうとしていておりこうだね
でもそのおりこうさに逃げてんじゃねえよ。
おあつらえ向きの「エッセイとハウツーを一絡げ。」とは別のブログを立ち上げて日記もとい叫び的なものを書いていこうという構想まではできていた
でも「ブログ作っても書かなくなったらな~」って思って止めてた
簡単な話だった 止めてんじゃねえ 書かなくなってもいいから 後々更新ない死んだブログになってもいいから 形から入れ 作れ やれ!
お前どうせあれだろ いつまで経っても一人も読んでくれなくて”イタイ”自己満ブログになるのが恥ずかしくて寂しいんだろ お前の思っている”イタイ”とか孤独がなんぼのものじゃい そんなにみんなお前に関心ねーから
ということで作った、やった、以上。
ブログのタイトルは旧知の仲の人で分かる人には分かる、原点回帰です。
書いてみて思ったけど、やっぱりどこかで”無いもの”を埋めようと、補完しようとしている 欠けているものを欠けているままにしておけないで、頭で考えて埋めようとしている それってなんか空虚だ あるものだけ生々しく書きたい